希望の年

最近のイランの動向が興味深い。

自由のために弱い人々がついに団結して立ち上がるとか、失われた希望を取り戻すとか、絶望の淵から這い上がるとか、そういうマンガでしか見た事がなかったような(ある意味で嘘くさいともいえる)ことが、実際に起こっているような気がする。

明らかに真っ黒な悪者vs抑圧された人々。アフマディーネジャドはどう考えても超危険人物だ。イスラムか民主主義かという問題のように思われているが、実際はそうでもない。宗教的指導者でさえ、彼のやり方には反対の人が多く、そのために多くの宗教的指導者が逮捕されていると聞く。つまりイスラム穏健派・民主主義vsイスラム原理主義・過激派というのが本当のところなのだろう。
そういえばタリバンのリクルートに関して聞いた話だが、タリバンは新しいメンバーにはいつも宗教と関係ない家庭に育った信心深くない人をターゲットにしているらしい。伝統や宗教的規律をきちんと守る信心深い若者はテロリストにはなりにくいからだ。つまり宗教に染まっていない人を過激派に育て上げるのだ。

とにかく、この混乱がどのように収束するのかは分からないけれど、現イラン政権は本当に崩壊しつつあるのではないか。デモを力ずくで抑えようとやってきた警官が、武器を持たない市民にパトカーから引きずり出されている様子を見て思った。処刑されることになっていた人が、処刑場で市民に救出されたということもあったらしい。

先月、イラン人アーティストによる写真展があった。それは選挙後のイランの緑の革命の様子の写真だった。この“平和的な”デモが結果的には全く無駄に終わったことを考えると見ていて辛くなる写真だった。

そこで偶然、アーティストのお父さんと話す機会があり、いろいろとイランの話を聞いた。彼はもとはイランの大学の先生だったと言う。反政府の活動を学生とともにずっとやっていたけれど、いろいろあって、国にはいられなくなってカナダに来た。でも当然、自分の国のことが忘れられるわけはない。イランの現状に絶望しているにも関わらずイランのことを考えずにはいかなくて、息子の写真を通してイランの人々の様子を見て、そのデモの顛末を思い出すと辛くてたまらないと涙ながらに語っていた。「私はずーっとこの国のことを見て来ているけれど、いつまでたっても良くならない」と寂しそうに言っていた。年老いて、自分の国の状況に疲れきった彼の姿を見ていると、返す言葉もなかった。

現在のイランでのデモを、あのアーティストのお父さんはどういうふうに見ているのだろうか、とふと思った。希望の力というのがあるとしたら、今、イランの人々を動かしているのがそれだと思う。人々は怒っている。そして、自分たちの国を良くするには、花を配って回るだけではダメなのだと確信しているのだろう。

多分、日本人にとっては、緑の革命の概念は受け入れやすかったと思う。暴力ではなく、平和による革命だ。だけど、イランみたいな国では、平和を全面に押し出しても政府には勝てないのが現実だ。沈黙が常に強さとなるとは限らない。

そして武装した軍隊や警察に立ち向かうために、武器を持たない怒れる市民が持っているのは数の力と希望の力だけだ。

2009年は世界的不景気などいろいろと陰鬱な出来事の多い一年だったけれど、2010年は希望が感じられる一年になってほしいものだ。

Add comment 2009年12月28日

アーティストランキング、ホットな100人

UKのアーティスト、ピーター・デイビースの作品に彼の好きなアーティスト100人(とその作品)をリストアップして書き上げるという作品がある。いわゆるテキスト・ペインティングだ。(写真:The Hot One Hundred 1997)

テキスト・ペインティングというのは、文字通り、イメージではなく文字をてキャンバスに描く(書く)絵画。

デイビースの作品は色がカラフルで平坦、文字の書き方はぞんざいだ。その点では絵画的でオプアートに近く、カリグラフィーではない。だけどこの作品は実際にイメージとして見るべきか、テキストとして読むべきかというと、おそらく後者だ。(cf. 言葉への渇望)それでこのThe Hot One Hundredのランキングを詳しく見てみることにした。

イギリスの美術批評家マシュー・コリングスによれば、ランキング作品は、“人類の天才への渇望”であり、また分類し分析せずにはいられない人間の性みたいなのを表しているのだそうだ。

私がこの作品が面白いと思ったのは、この作品が自己の欲望に忠実なものだからだ。これ以上の自己表現はないとさえ思える。だけどこれはアーティストの自己満足を押し付けてくるものではない。むしろ見る者の欲望に問いかけてくるものがある。
ランキングに載せられたアーティストの名前を見ていると、アーティストとしての(あるいは芸術愛好家としての)自己顕示欲とか、知識欲とか、優越感とか、憧れとか、そういう感情がまざまざと甦ってくる。最初から最後まで見ずにはいられない。眠っていた野次馬根性が引き出される。

有名なアーティスト、美大生が勉強するべきアーティストの羅列といえば、美術の資料がある。私は美術の資料やいわゆる美術史概観みたいなのを見るのは今でも好きだ。どのアーティストは入っていて、どのアーティストが入っていないか、どの作品について言及されていて、何が言及されていないか。概観となれば、より有名な作品やより重要な作品が選ばれるべきだから、それこそ著者にとっては苦渋の選択だろう。だからこそ余計に、そのぎりぎりの選択を見るのが面白い。

ただ、それだけではもの足りない。
誰が一番か?どのアーティストがどのアーティストより上なのか下なのか。そういうのを人は知りたいものだ。(少なくとも私は興味がある。)そのランキングが普遍的か否かは全く問題ではない。ただ、ある人がどのようなランキングを作るのかに興味があるのだ。興味津々と言ってもいい。

そして自分の好きなアーティストが入っていたら嬉しいし、入っていないと「ちぇっ」と舌打ちする。ただそれだけだ。それはもう、オリコンのヒットチャートを見て、好きな歌手の浮き沈みにドキドキした子供の頃の感覚だ。そこには達成する何ものもない。エンドレスに続く無意味な順番の入れ替えだ。ただ毎度毎度、ちょっとしたドキドキ感があり、ちょっとした喜びと失望がある。

そして、この100人の熱い芸術家の名前を前に、ランキング作成者のアーティストに対して共感を持ってしまう自分にしょうがないな、と思う。そんな自分に苦笑するしかない。だけどこの作品を前に、私みたいに苦笑しながらも、ついつい自分のお気に入りアーティストの順位の上下を確認せずにはいられない人が世界に山ほどいるに違いない。

というわけで、デイビースの作品のランキングから私が共感したものを紹介したい。(好きでないのにランクインしていたり、実際に私が作品を見た事がなかったり、よく知らないアーティストは飛ばした)私は、彼の選択は独りよがりのものではなく、むしろ王道的な無難なものだと思うのだが、どうだろうか。

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2 comments 2009年12月21日

歩く

道路が凍って自転車は怖いので、最近は代わりによく歩く。それで思い切って安い万歩計を買ってみた。数字でどのくらい歩いているのか分かるので面白い。そしてこんなサイトも見つけた。

Walk Jog Run http://www.walkjogrun.net/

地図上に自分のルートを作って管理できる。地図と連携しているのでとても便利。ジョギングやウォーキングにはもってこい。面白いのでいろいろ日常生活で歩く範囲のルートを作ってみる。

まったく寒くて体がなまってたまらん。

Add comment 2009年12月20日

現代のベルニーニ

彼の作品を初めて見たのは、確かグーゲンハイムだったと思う。庭に置かれたつるつるの丸い物体に吸い寄せられるように近づき、その前からしばらく動けなかった。作品を見るという感覚はなかった。ただ、鏡のように完璧に磨き上げられたカーブに映った自分の姿が絶えまなく変わっていく様に見とれてしまった。いくら見ても飽きなかった。それは、子供の頃の無邪気な好奇心を掻き立てる物体だった。そしてその色は黒ではなく闇だった。色さえも消えて、空間のみが残っているという感覚。

少ししてそれがアニシュ・カプーアの彫刻だと知った。

それ以降も、彼の作品を見る機会はかなりあったけれど、いつもその物体に吸い寄せられるように引き寄せられた。確かに、何度も見ると「また例のやつか」という感じはする。にも関わらず、一度作品の前に立つとついつい無邪気に作品を楽しまずにいられない。

公園など公共の場におかれた彫刻の前では、いわゆる芸術好きな鑑賞者だけではなく、老若男女あらゆる人が、そして酔っぱらいまでが吸い寄せられるように惹き付けらていくのだそうだ。実際、彼は現在活躍中のアーティストでは最も集客できるアーティストなのだと聞く。人々は彼の作品を見たいと思うのだろうし、見ずにはいられないのだ。
大掛かりで派手な彫刻は時にやり過ぎ感が少し嫌味だが、それでもその作品の意義を疑う気にはなれない。それは17世紀のローマの公共芸術と同じような意義があるような気がするからだ。つまり、街の人々のために思いっきり楽しくて大胆な企画をドカンとやってしまおうという心意気の現れ、そのために税金でも金持ちのお金でもなんでも投入してしまう思い切りの良さというか。

何より彼の作品が恐ろしいのは、どんなに大きかろうが、そこに人間業を離れたような完璧さが漂うからだと思う。つなぎ目がない。つるつるな面というのは、ベルニーニの彫刻でもそうだが、基本的にそら恐ろしいものだ。スーパーフラットにおける平坦な画面はある種のイデオロギーの現れであり、崇高な感覚は覚えないが、カプーアの彫刻のつるつるには宗教的なものを感じる。おそらく、同じつるつるでもカプーアの彫刻が神秘的なのは、色を越えた影、闇を含んでいるからだ。神秘的なものには常に闇が伴う。光だけではダメなのだ。(そういえば、昨年ピストイアで見た長澤英俊の”Dove tende Aurora – Bosco di colonne -”も闇の中にたたずむ神殿だった。)

そう、アニシュ・カプーアは現代のベルニーニだという気がする。勿論、現代のベルニーニというのは私が勝手に思っただけで、美術史家や評論家が言っているわけではないけれど。

先日BBCのカプーアのドキュメンタリーを見てこんなことを考えたのでした。

Add comment 2009年12月12日

雪のつづき

雪の中を散歩してみた。防寒さえしっかりしておけば大丈夫。

Add comment 2009年12月10日

今年は暖冬だと聞いていた。それが一昨日から雪が少しずつ降り出して、今日朝からずっと激しく降っている。今は一面真っ白だ。
私が育った滋賀県も、年に数回はそこそこの大雪が降ることがあったので、雪自体は珍しくない。だけどこの雪が来年の春までとけないとなるとなかなかやっかいだ。

最近は毎日アトリエに通って作業をしているのだけど、徒歩15分のその距離さえ、この雪では遠く感じる。遅ればせながら今日スノーブーツを買いに行こう。

2 comments 2009年12月9日

最近

先日、モントリオールで仕事をしているイタリア人のギャラリストに知り合った。個人的に苦手で敬遠していたイタリア人のおばさんの紹介だったので、最初はかなり微妙だった。でも胡散臭い人だなーと思いつつも、とりあえずギャラリストなので試しに作品を見せてみることにした。

ギャラリーに行くと、ギャラリストは気だるそうに作品の写真をぱらぱら見て、時々へー、ふーんみたいなことを言いながら、いかにも興味がなさそう。それからおもむろに質問タイム。
「で、モントリオールで一体何がしたいの?」
などと、いきなり言われても、私はどぎまぎして言葉に詰まるのみ。
「何も答えられないんじゃ、どうもしようないわ。」
と言われ、それはそうだと必死に考えて言ってみるが、
「そういうのって別に聞きたくないのよね、作品見れば分かるから」
と責められて、本当にごめんなさいという感じだった。
彼は私が緊張しているのだと思ったらしく、ワインを持って来て私にも勧めた。私もワインでも飲めば少しリラックスするかも、と考えて、ワインを飲む。イタリアのワインだった。

そんな感じでワインを飲みながらの尋問が10分くらい続いた頃、突如、
「なにはともあれ、一緒に何かしたい」
と彼は言った。そういうわけで、来年1月に急遽個展をやらせてもらえることになった。お互いにそれぞれ3杯ずつくらいワインを飲んだ後、別のギャラリーのオープニングに誘われ一緒に行った。

ギャラリストは「カスみたいな展覧会」と言っていたけれど、彼は社交を楽しんでいるように見えたし、私もそういう世界を見れて勉強になった。作品は、私はそこまで悪くないと思った。ただ私と同世代の無名アーティストが、そこまで豪華で派手なパーティーを開いているのは、ちょっと違うと思った。ちなみにオープニングパーティーはアーティストの自腹で、ギャラリースペースもレンタルだった。後で、彼の親が金持ちなのだと聞いた。なるほど、と思った。

「多分、私はこういう風にはできない」とギャラリストに言うと、「その気持ちはよく分かるけど、間違ってる」と言われた。確かに私は間違っているのかもしれない。器用にアーティストを演じられなくて、ビジネスもからっきしなために、いつまでも貧乏な自分はちょっと惨めだと思った。とはいえ、この年で芸術でお金をバンバン稼いでいたら、私の尊敬するアーティストに顔向けできないし、彼らは私を許してくれないだろう。

とにかくオープニングパーティーで、私たちはしこたま飲み、豪華なオードブルを食べまくった。ワインが沢山出てくるオープニングパーティーは、作品がどんなものであれ、結局は良いオープニングパーティーなのだ。

ギャラリストのことはまだ心底信用しているわけではないし、多分、この先も完全には信用できないだろう。(それは私のせいではなくて、彼の武勇伝というか、自慢話についてい けないからだ。)ただイタリアにお互いの共通の知り合いも多いみたいだし(これも本当のところ、どこまでの知り合いかは不明)、芸術と向かい合う姿勢に関し ては、意見の食い違いはあっても、基本的に理解できる。何よりも作品についてきちんと話し合える。だからとにかく彼について行ってみることにした。

ちょっとおかしな世界に迷い込んだみたいな気がしなくもないが、なんだか面白くなりそうだ。何はともあれ、私はこのギャラリストから一つの越えるべきハードルを与えられた。

Add comment 2009年11月28日

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モントリオール在住
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