タグのついた投稿日本画
風景画と場所
先日の本、佐藤道信著『<日本美術>誕生』でまた面白い部分を見つけた。風景画についてだ。
風景という言葉そのものは景色や山水同様に昔からあったそうだが、美術の分野では日本画、洋画の両方において山水が使われ、洋画においては景色もまた使われていたようだ。それを明治期に従来の山水や景色と切り離し、西洋的な概念における風景(paesaggio, landscape)に合わせるために(そして新しさを印象付けるために)、あえて「風景」という言葉を洋画家が使い出したのだそうだ。<写真:Leonardo da Vinci, The Vergin and Child with St Anne, detail>
山水という言葉が山河のように自然の形態を表す語なのに対して、風景は自然の天候や気象などの現象を表す言葉なのだそうだ。ここまでは良いとして問題の部分は次の文章だ。
また柳氏(柳宗玄氏)によれば、西洋のlandscapeの景観は、具体的には陸地や田園の眺めを意味するもので、本来山と水(山水)とは関係ない。そのため西洋の風景画は本来平坦な陸地を描くことが原則で(それゆえにlandのschap)、それが透視図法や横長の画面形式にも密着に関係しているのだという。
これを読んだとき、私は飛び上がりそうになった。こんな滅茶苦茶なことがあるだろうか。最初の一文、景観が陸地や田園の眺めを意味するというのは確かにそうかもしれない。しかし、「西洋の風景画が本来平坦な陸地を描くことが原則」というのは全くもって嘘だろう。出鱈目もいいところだ。
風景画が透視図法(遠近法)と密接な関係があるというのは本当だ。遠近法というのは、アルベルティーニの窓の理論(ピエロ・デラ・フランチェスカでも良いが)によれば、四角の窓から見える画面をそっくり切り取り写し取るという方法だ。その流れで、例えばレオナルドは空気遠近法(遠くにあるものはぼやけて見えるように描く方法)を発明した。<写真:Nicolas Poussin, Ideal Landscape >
しかし、これはあくまで遠くにも見えるものも描くというのが問題であって、平坦な陸地とは関係ない。しかも当時の芸術の中心、イタリアの土地を考えても、牧歌的風景の軸となる周囲の風景は平らというよりは、小山の多い丘陵地帯が好まれたようだ。わざわざこの理想的イタリア風景を描くためにヨーロッパ中の風景画家たちが17世紀、18世紀には集まっている。<写真:Claude Lorrain, Erminia and the Shepherds>
さらに、風景画は実際にある景色を描くのではなく、理想の世界としての理想の風景を描くことから始まっている。水辺があり、草があり、左右に木がバランスよく配置される。実際にこんなに都合よく木は生えていないものだ。しかし、これはおそらく中国起源の山水画にも共通する点だと思う。瀟湘八景ではないが、理想の世界なのだ。
余談だが、本の中で佐藤氏は「『山水』『景色』『風景』を全部ひっくるめて、なぜ『自然画』というのができなかったのか」と疑問を呈している。この「自然画」という発想は、山河の状態や風景の状態が「自然」であるという、かなり問題ありな発想なので、むしろ私はこのような変な発想が過去の日本の芸術関係者の間で生まれなくて良かったと思う。
ではどうして風景画では平坦な陸地を描かれていると思われがちなのだろうか。おそらく答えはlandscapeの語源でもあるオランダにある。17世のオランダの風景画家、ヤーコプ・ファン・ロイスダールなどの風景画家たちだ。背景ではない純粋な風景画は17世紀オランダで誕生したと言われている。
このような風景画への情熱が生まれたのは、一つにはもともとフランドル画家達の間にあった現実のそのままの描写への情熱に加えて、失われていく景観を記録するという意味があったのではないかと私は思う。
17世紀のオランダは大干拓事業の最中で、確かアムステルダムの街の主要な部分が出来たのも17世紀だったような気がする。オランダは文字通り人工の国だ。景観は本当に変わる。前は水辺だったところは、明日には陸地になっている。失われゆく景観、あるいは変化し続ける景観を描こうとするのは、現代の私達にも十分理解できる心理ではないだろうか。<写真:Jacob Van Ruisdael, Landscape with a View of Haarlem>
オランダに行ったことがある人は誰でも分かると思うが、オランダに山はない。オランダで唯一山と呼ばれるものがマーストリヒトにあるが、山がちな日本から来た者にしてみれば、それは丘であって山じゃない!それくらいオランダは完全に平坦な土地だ。風景画がオランダという特異な土地で確立したことによって、日本人には「西洋の風景画が本来平坦な陸地を描くことが原則」という間違った認識が生まれたのだろうと思う。ちなみに、いわゆる風景画における横長のキャンバスが発明されたのもオランダだ。オランダに行けば、横長の画面にしたくなるのも理解できる。
では風景画とは一体何なのか。私は風景画とは「場所」に関わる絵画だと考える。「空間space, spazio」ではなくて「場所 place, luogo」に関わるものだ。
西洋のキリスト教絵画を見ると、しばしば背景にその作家の(あるいは依頼主の)街が描かれている。キリストの奇跡が起こる場所が史実とは関係ない特定の場所に読みかえられているのだ。美術史の教科書など、有名な絵画しか載っていないものでは、この特定の場所を描いた宗教画はほとんど見られないが、実際にイタリア各地のピナコテカに行くと、必ずその土地の風景が描かれた宗教画があり、その数は膨大だ。<写真:Lodovico Carracci, Bargellini Maddonna>
ちなみにこの絵の背景にあるのはボローニャ。二つの塔(一つが高くてもう一つが傾いている)が描かれているのですぐ分かる。
有名どころでは、15世紀のバーゼルの画家コンラード・ヴィッツの<奇跡の漁り>などもそうだ。
魚が獲れなくて困っている漁師のところにキリストがやって来ると大漁になるというキリストの奇跡の一つを描いたものだが、この漁の場所がジュネーヴ湖畔になっている。これは教化の意味もあり、奇跡に具体的な親近感を持たせるという効果があるのかもしれない。神の奇跡は他人事ではなく、自分の事だというように。<写真:Konrad Witz, The Miracurous Draught of Fishes>
ちなみにキリスト教絵画ではないが、地図的に正確な風景を初めて描いたのは16世紀前半のドイツの画家アルブレヒト・アルトドルファーだと言われている。
たとえそれが理想化された現実の風景とは異なる風景にしろ、あるいは写実的な特定の場所にしろ、それが「場所」に関わるという点は代わりがない。
それが逆に、風景らしきものを描きながら「非場所」を意識している画家も後の世には出てくる。点描主義のスーラがそうだ。勿論、本人はそれが非場所であるとは言っていないが。
彼が描いたのは印象主義の理論であって「場所」ではない。だからスーラにとって何を(どこを)描くか、ということはあまり重要ではなかった。彼の風景はタイトルとは裏腹にいつも強い匿名性を帯びている。非場所、どこでもない場所という無菌室だからこそ、彼の理論は(その理論が結果的に破綻していようとも)証明されうるのではないだろうか。彼の絵画は風景画というよりも、むしろコンセプチュアル・アートに近い気がする。
また、それとは少し別の視点で風景や場所の問題に取り組んだ画家としては、エドワード・ホッパーがいる。ホッパーの惨めな風景画は、理想でもなんでもない惨めなアメリカの非場所をそのまま描いた点が革新的だったのだ。実際、ホッパーの口当たりの良い、それでいて根底にある徹底的に冷たい視線は、絶望的でありながら、同時に現代の私達には懐かしさも呼び起こすのだ。<写真:Edward Hopper, Drug Store>
問題は、現代の絵画において風景画は一体どんなものでありうるか、ということだ。風景を描くというテーマは、私達が物理的な世界、ある特定の場所に居る限り、決して終わることのない問題だ。日本の場合、それがまずは制度として、言葉として無理やり導入されてしまったとはいえ、山水という伝統もあったわけだし、場所に対する感受性は常に存在した。それならば、山水と呼ぼうが風景と呼ぼうが、とにかく「風景画」を描くことに意味はある。要は、風景画の一般的イメージにとらわれず、場所や非場所の問題と芸術家が正面から向かい合っていけばいいことだ。表現方法はその向かい方によって自ずと決まってくるはずだ。
9 comments 2008年2月20日
日本画
先日フィレンツェの三瀬夏之介さんのお家に遊びに行ってきた。昼間からお酒も入り、かなり密度の濃いお話もできてとても楽しかった。水野さんという日本画出身のアーティストの方も一緒で、お腹一杯にインスピレーションを受けて帰ってきた。
三瀬さんには本も2冊頂いた。一つは『<日本美術>誕生』という本で、帰りの電車の中で読んでいたのだが、かなり興味深い。<日本美術>や<日本画>というものがどのように形成されてきたのかが分かりやすく説明してある。もしここに書いてあることが本当だとすると、日本美術の状況は大変な状態だと思う。そしてこの本からいろんな日本美術における歪みも見えてきた気がする。
この日本美術の誕生の歴史の中で一番大きなポイントだと私が思ったのは、近現代の美術がアーティストの作品そのものではなく、むしろ政治的、文化政策的な側面から成立し発展してきたという点だ。成立の時点で対外国関係や政治的な問題が重要となるのは分かるし、政治的文化的背景が芸術を一定の方向に動かしていくこと自体は西洋美術史においても珍しいことではない(例えば反宗教改革時代のカトリックの動きなどがその典型)ので問題ではない。
もう一つは美術が一つの制度であるから、「日本画は何を描くべきか」という論争があったのも重要な点だと思う。
ヨーロッパでは例えばナチズムやソ連の時代においても「芸術家は何を描くべきか」というテーマが、芸術を取り仕切る機関によって厳密に決定されていた。なぜなら芸術というのは有用なプロパガンダの一つとなりうるからだ。そしてナチズム下のドイツでは、それは恐るべき効果を挙げたのだった。
だから大戦に向けて軍国主義化する日本が芸術を使って国民意識を高めようとするのは政治的戦略としてはありだったのだろうと思う。
問題は、今現在、明治時代つまりは1800年代後半に作られた制度が、いまなお多少の揺らぎはありつつも存在し続けていることの不思議だ。明らかに芸術家の可能性を限定する区分であるにも関わらず、芸術家がその区分を受け入れていたのはなぜか。その本には日本画というのが紆余曲折して出来た制度そのものであるために、日本画とは何かという本質を問う議論にも決着がつかないのだとあった。これは確かに納得のいく話ではあるが、同時になぜ作家自身が作品をもってその本質を作り出してこなかったのか、という疑問は残る。
それにしても、これほどミクストメディアやら超絵画的手法(extra pitturaは日本語でなんというのだろう?)が絵画の中で一般的になっている現在、絵画に携わる人は日本画を他の絵画と同様に現代の絵画の一つとは考えなかったのだろうか?日本画で言われる無の空間、何もない空虚な空間ではなく無が凝縮した空間というのは、マティスの切り絵やモランディのドローイングに顕著に見られるのに、そのことに対して日本画の方はどういう見方をしていたのか?また前衛芸術の時代、日本画は前衛に対する古典として、どのように対峙したのだろうか?
そもそもただの制度に見えるものが、作品に対してこうも色濃く出てくるということ自体、おかしな現象だ。例えば、先に挙げたような日本画におけるジャンル分けというのは何なのか。~を描かなければならない」という設定は、絵画ではなくイラストの問題だ。雅やかな花を描くのがいけない、というのではなく、花をどのような方法で描くのか、という問いが芸術家本人からなされなければ、結局はイラストになるからだ。
最初にできてしまった制度や捏造された伝統に乗っかって、道具、素材、主題、描き方に関して同時代的な(コンテンポラリーな)視点から分析し立ち向かっていかなかった芸術家の責任は大きいと思うし、非難されても仕方ないと思う。伝統的な手法を使うことは、全くもって間違っていない。現在にも昔ながらの伝統的なテンペラ技法を自らの手法としている画家は沢山いる。だけど、それに対してなぜその手法なのか、と問いかけないことは芸術家としては完全にアウトだ。そういう人がいるから、逆に「絵画はもう古い」とか簡単に言ってしまう人が出てくるのだ。
その意味では三瀬さんの作品はとても誠実であり、本物だと思った。それは何かの上にあぐらをかいて描いたアーティスティックで美的なものではなく、紛れもない絵画だ。
前に少し書いた「もし私が自分は日本画家だと言ったらどうなるか」という点についても、少し見えてきた気がする。まず日本画という言葉のみならず、芸術全般に関わる用語(例えば絵画という言葉など)や概念は、海外(特にヨーロッパの芸術)と対置する形で生まれてきたこと。また日本画というジャンルは道具や制度に関するもので、絵画そのものの詩的な部分から成立するものではないらしいこと、そして区分自体がかなり曖昧なため様々な可能性も含んでいそうだということ。これらを踏まえると、私が日本画家になる日がいつかあるのかもしれないという印象だ。
2 comments 2008年2月18日
次の課題と日本画家について
とりあえずここ2週間くらいドワッとやってきた用事がひと段落ついた。ようやく通常やるべきこと、試験勉強とか、試験のための制作とか、普段の自分の制作に取りかかれそう。頭の中では既にいろいろなことが渦巻いている。
ここ半年ほど作っていた『記憶の構造』という一連の作品はひとまずここで終わりだ。最後に展覧会で締めくくることができて本当にラッキーだ。イタリアでの初めてのちゃんとした展覧会だし、何よりも初めてのカタログの出版だ。ここで研究の結論部分に当たるような作品が発表できるのは嬉しい。
とりあえず次は「スキマ」と「層」、そして「スカスカの何か」だ。確かに存在する無ではなくて、スカスカな場所に現れる、隙間に現れる無、というか空白というか、穴というか、そういう感じのものについて考えてみたい。
そして構築する、あるいは建設するのではなくて、層として重ねていくこと。その幾層にも重なった場の間のスキマ。それが問題だ。
一つにはバルトの『表徴の帝国』の中の天麩羅の話がとても気に入っているからだ。天麩羅のアナロジーだ。
もう一つは日本画と日本画家について。
昨日はそのことを考えていたらなかなか寝付けなかった。
私は日本画家だろうか?実際には、たとえ私が日本画家だと自称しても、誰も信じないだろうし、誰も相手にしないと思う。無意味だ。だけどどうして私は日本画家であるとは言えないのか。
日本画家という言葉に対してこだわりを持っているわけではない。いわゆる日本画と自分の関連など全くない。第一、私は日本画に触れたことがない。ただそんなカテゴリー自体が無意味だし、よく分からないと思う。そして、だからこそ日本画という言葉を濫用してもいいじゃないか、という感じがする。ちなみにこの点に関して、私は理論的にも知識的にも、経験的にも丸腰だ。誰かに喧嘩を売っているつもりもない。ただ素朴に疑問なのだ。
なにより日本画家という肩書きは、画家とか絵描きというのに比べ、どことなくカッコいい。洋画家という肩書きはアマチュア日曜画家っぽくて、「日本画家」という言葉に漂う重みがない。だったら私も日本画家と自称したい、という馬鹿なことを真剣に考えていた。伝統文化云々とか、日本の美術史云々という話は放っておいて、絵を描いている日本人はいっそのこと全員日本画家と自称すればいいのだ、とか思う。実際には、肩書きの話なんぞくだらないと言ってみんな無視しているのだろうが。
例えば、いわゆる日本画のコンクールに私の作品を送ったらどうなるのだろうか?現場の政治的な状況は知らないが、ただ無視されるだけだろうか。
でも考えてみれば、例えばマルセル・デュシャンがやったことはどうだったか?彼の作品は公募展でどんな扱いを受けていたか。ポロックがやったこと、ウォーホルがやったこと、ラウシェンバーグがやったこと、一体これらは何だったのか?
例えばポロックは特に、ヨーロッパの真似ではない真にアメリカの絵画というのをかなり意識していた。これは岡倉天心がやろうとしたことに、根底では通じるものがある気がする。となると、日本画というコンテストの中でも、そういう破壊的なことが起きてもいいと思うし、起きたらもっと面白いと思う。日本画という枠に入らない日本人の画家は沢山いるわけだし、みんなが日本画家と自称し始めれば、少しは何か変わるだろうか?
変わらないだろうか・・・
とりあえず私が言ったところで何も変わらないだろうな。
4 comments 2008年1月30日


