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未来予想図
レナートとのショッキングな出会いの後、語学の試験とか、英語で読んでいるマンガとか、ポートフォリオとか、他にも気になることは沢山あって、何もかも中途半端だ。その中でも特に、最近は未来の事が気になって、いろいろと頭を働かせている。
未来といっても、1年後とか、3年後とか10年後とか20年後ではなくて、もっと先の、例えば22世紀とか、23世紀とか、自分とは直接関係のない未来についてだ。
いざ真剣に考えてみると、未来のことを想像するのは結構難しい。私の未来予想図は真っ白だ。
子供の頃はいろいろと勝手な想像を膨らましては、それがいつかは実現するとどこかで信じていた。いや、正確には信じていたのではなく、それが“実現しないとは思っていなかった”。実現するとは言わないが、実現しないとも言い切れない。何より、ただ想像することが楽しかった。
それが、大人になったせいなのか、今いち想像を膨らましても、どこかで実現しないだろうという気持ちが強くて想像の邪魔をする。いまいち乗れない。そして実現しそうな未来の予想は、想像してもあんまり面白くない。
ちなみに「想像する」の定義は、『実際に見え(聞いたことの)ない物事について、多分こういうものだろうと頭の中で考えること(新明解国語辞典)』だ。さらに漢字を見ると、それは『像』を『想』い浮かべることとも言える。
想像するというのは、概念として言葉で捉えるのではなく、イメージとして見ず知らずのものを捉えることなのだ。イメージとして捉えるということは、抽象的ではなくて具体的に捉えるということでもある。
実在しないもの、根拠のないものをどこまで具体的に考えられるか。これが想像力なのではないか。そして、何かを想像するには、データを元に解釈してみることとは違い、もっと大胆な飛躍が必要なのではないだろうか。
未来を想像するというと、とても平凡で野暮に聞こえるが、今日、純粋に、かつポジティブに未来を想像するのは、なかなか容易なことではないような気がする。未来に向けた視線そのものが複雑な問題を含んでいるからだ。
例えば未来に新しい物を欲することは進歩主義的とか言われそうだし、現在のエコのご時世、未来を発展の先にあるユートピアのように無邪気に想像することは、なんとなく後ろめたさがつきまとう。雰囲気的に未来を勝手に派手に想像するのはなんとなく馬鹿馬鹿しいし、気が引ける。
私たちが何となく感じている来るべき未来は、子供の頃に比べてずっと暗く、ずっと悲しく、ずっと地味だ。そんな冷たい予感が想像力の邪魔をする。となれば、なおのこと、もう一度未来を明るく想像してみるにはどうすればいいか?未来を無邪気に想像してもいいじゃないか、という気持ちを盛り上げるにはどうすればいいのか?などと考える今日この頃。
Add comment 2009年7月25日


